
ハンセン病療養所で暮らすUさん。
Uさんとは、就職のため静岡県に引っ越して間もない頃、知り合いました。
当時、ハンセン病療養所は表向きは隔離施設ということになっていました。
実質的には外部の人も出入りは自由でしたし、入所者の方が外に出て行くこともできましたが、国がまだそれを撤回していなかった。
入所者の方々は皆、もうハンセン病は治癒して、正確には元患者ですし、仮に発症していたとしても感染力は非常に弱く、まず人への感染はありません。
家族間などでの感染があったのは、かつて、非常に栄養状態の悪かった時代のこと。
後に、国が過ちを認め、隔離政策を撤回したときはニュースでも大きく取り上げられていました。
が、高齢化に加え、後遺症で不自由さを抱える入所者の方の殆どは、結局は外に出て普通の生活をすることはできませんでした。
不思議なご縁でUさんと知り合い、ハンセン病の暗い歴史を知ったときはショックでした。
過去に過ちがあったとして、誤りに気付いた今も何故、「くさいものにフタ」 をして何事もなかったかのようにそれが継続しているのか?
でも、入所者の方にとって一番の壁は、人の心にある差別意識だったのだろうと思います。
誰の心にも差別意識はある。
療養所の方と係わろうとする、己の意識の中にすでに差別の心がある。
そう教えてくださった方がありました。
本当にその通りだと思いました。
その方々を気の毒に思う、自分はすでに一段高いところから見下ろしているのだと。
Uさんは大変な人格者で、決してご自身の苦労を語ることはありませんでした。
ときおり、懐かしそうに生い立ちを語ってくださることはありましたが、ただ、話を聞くことしかできませんでした。
想像を絶する苦難の道を歩んでこられた人生の大先輩に自分が何かできるとも思いませんでした。
ただ、普通におしゃべりしたり、ご用があればショッピングなどに付き合ったり、そのくらい。
本当に、ただ、いただけでした。
最近はそれすら怪しくなって、すっかりご無沙汰してしまっていたわけですが。
療養所から遠方の病院に入院されたとのことでしたので、相当悪いんじゃないかと心配しましたが、やはり、急に悪化されたのだとか。
ほぼ毎日、療養所の看護師さんが付き添ってくださっているそうです。
今日は療養所の職員の方も 「今日はお休みの日だけどUさんに会いに」 と、いらしていて、少しお話をしたのですが、かつて数百人いた入所者の方も今は67人にまで減ってしまったとか。
開かれた療養所にとか言ってましたけど、結局は自然消滅になるのでしょうか。
「あまりにも遅すぎたんです。
もう10年早かったら、外に出て行かれた方もたくさんいらっしゃったと思うんです。
でも・・・、そういう時代だったから。
しょうがないですね。
いくら訴えても、寝た子を起こすな、みたいな感じでしたから。」
そう、悔しそうにおっしゃっていました。
切ないですね。
現場で必死に頑張って戦っておられた方、隔離撤廃、差別撤廃のために尽力した方々がいらっしゃいました。
その努力は形の上では実ったのでしょう。
でも、実質を伴ったものにはならなかった。
ようやく国が動いた時には、皆、歳をとりすぎていました。
失われた人生は、もう取り戻せない。。。
激動の時代の悲しい歴史。
二度と繰り返してはならないけど、少しずつ忘れられていきそうな気がして。
Uさんの回復を祈りつつ、そんなことを考えながら病院を後にしました。
最後に、いつだったか、Uさんがさりげなくおっしゃった言葉。
「どんな中にも幸せはある」
普遍的な真理ではありましょうが、Uさんがおっしゃると、ひときわずっしりと伝わってきたことでした。
オマケ


足元にいた、おに子さん。 里親募集中だそうです。
ご家族に如何でしょうか。


