
7月12日の記事 【いよいよ!】 にチーママさまが寄せてくださいましたコメントの返信にも書きましたように、ずっと心の中で引っかかったままだった“メガバクテリア”について、先生とお話ししてまいりました。
治療が終了してすでに1年以上、不幸な結果ならともかく、治った病気のことを引きずる人も珍しいのかもしれません。
でも、私にとってはヤッピーのメガバクテリアは “治っておしまい” ではなかったのです。
あの後、ヤッピーは口角炎になったり、くちばしが伸びたり・・・
それは、治療の副作用ではなかったかと、ずっとおびえ続けてきました。
ヤッピーに、とてつもない負担を掛けてしまった・・・その思いは常にありました。
一説によれば、メガバクテリアは保菌しているだけでは、問題視する必要はない。
あるいは、文鳥には害はない。
そんな情報がネット上では飛び交っています。
もちろん、そういう情報があることは承知の上で徹底治療の道を選択したわけなのですが、それでも迷うのです。
過ぎたことであっても、迷うのです。
最終的には、診察してくださった先生の判断を信じて、それを決めたのは自分。
「どこも間違ってないじゃない」 という思いと 「セカンドオピニオンを求めるべきではなかったか」 という思いも交錯します。
あのときは、治療の最終段階になって、本当にメガバクテリアだったのかどうかさえあやふやになって幕切れとなりました。
もう一度、先生にお聞きしてみました。
「ヤッピーはメガバクテリアだったと思いますか?」
「メガバクテリアだったと思います。」
今回は明確に答えをいただきました。
「メガバクテリアは徹底的にたたくべきだ」
という先生の考えに今も変わりがないことも確認しました。
「胃炎で亡くなった鳥の胃を調べるとメガバクテリアが見つかることが多い。
(まれに、見つからないこともある)
メガバクテリアの関与が濃厚に疑われる以上、それが見つかったときには排除しておいた方が良い。
今、何ともなくても、いつ発症するか分からないから。」
というような説明でした。
「文鳥に対してはどうなのでしょう?」
という問いに対しては、
「症例が少なすぎて分かりません」
(メガバクテリアに感染する文鳥自体が稀であるなら、もっともな事です)
治療の前に先生と話し合ったことの繰り返しのようにも思えましたが、無駄なことではない・・・
終わった後に、一つ一つを検証し直す作業も必要だと思うから。
あのときも、今回も、先生のおっしゃることに異議はありませんでした。
常に最悪を想定して対処する、その姿勢に対しては全面的に賛同できます。
なら、何で悩むのかな~。
「ベストはありません。ベターを選ぶしかないんです。
そして、どれを選んだとしても後悔はつきものです。
ちゅんちきさんの性格上、治療しない方を選んだら、もっと後悔していたと思います。」
ハイ、図星です。
治療しないという事は、時限爆弾を抱えて生きるようなもの。
いくら健康管理をしっかりしたって、悪くなるときには具合は悪くなる。
あのときだって、食餌内容にはまったくと言っていいくらい問題はなかった。
飼育環境にも問題はなかった。
ただ、ウサギに手を取られていただけ・・・。
それなのにヤッピーは体調を崩し、メガバクテリアが発覚した。
メガバクテリアがいる以上、いつかはスイッチが入る。
ヤッピーが逃げ切れる保証はどこにもない。
自分は、あのときそう思いました。
思い出して、納得しました。
そして、もう一つの問題。
「飼い主の目から見ると、投薬量がものすごく多くて、もう限界だったんじゃないかという気がしていました。
ちょうど、そのときに治ってしまったから良かったのですが、あのまま続けていたら、ヤッピーはどうなってしまったんでしょう?」
「飲み薬は吸収されないので問題はありません。
ただ、注射の方は・・・あれが限界だったかもしれません。」
過剰投与によって副作用が出た動物の末路を知っているのは、毒性試験の現場にいる自分の方かもしれません。
でも、自分は止めなかった。
先生がいいと思うところまでやっていただこう、そう思いました。
結局は、自分が許せないんですね。
治療をしていただいた横浜の病院では、メガバクテリアに対して最もシビアなのが院長様なのだそうです。
(そういえば、最初に治療すべきだとおっしゃったのは、院長様でした)
メガバクテリアが治った最長記録は、院長様の2年間だそうで、その間、飼い主さんはひたすら通院して注射をしていただいていたとか。
大抵はそこまでもたずに、治療を打ち切り、メガバクテリアと共存の道を選ぶのだそうです。
どこまで治療を続けるかの判断は、先生によって様々だということですが、飼い主さんの忍耐にもよるのでしょうね。
そういう病院にかかったというのも、また縁なのでしょうか。
「ヤッピーちゃんの治療は、あれで正しかったです。
良い選択をして、良い結果になったと思います。」
先生は、はっきりとそうおっしゃってくださいました。
「ヤッピーちゃんは、もう完全にメガバクテリアはなくなっていると思います。」
そうも言ってくださいました。
そうね・・・ヤッピーはもう治ったんですものね。
ここで、一旦、線を引きましょう。
いつの日にか、必ずやこの病気の真相が明らかになるときが来るでしょう。
そのときには、もう一度、自分のした事を振り返ってみましょう。
人間も動物も、みなそれぞれに何かしら役割を背負って生まれてくる、私はそう信じています。
実験動物は薬を待つ誰かの命をつなぐために、コンパニオンアニマルと呼ばれる動物たちは、人の心を支えるために・・・みんな大なり小なり使命を背負って生きている。
ヤッピーは・・・ “メガバクテリアのヤッピーちゃん” になるために生まれてきた。
チェリーは・・・ “メガバクテリアのヤッピーちゃん” のために逆転満塁ホームランを放つために生まれてきた。
そのために、トリコモナスを発症し、メタボにもなった。
ダッチウサギたちは・・・ヤッピーのメガバクテリアの引き金を引くためにやって来た。
そんな不思議な運命のつながりのようなものを感じています。
治療が終了してすでに1年以上、不幸な結果ならともかく、治った病気のことを引きずる人も珍しいのかもしれません。
でも、私にとってはヤッピーのメガバクテリアは “治っておしまい” ではなかったのです。
あの後、ヤッピーは口角炎になったり、くちばしが伸びたり・・・
それは、治療の副作用ではなかったかと、ずっとおびえ続けてきました。
ヤッピーに、とてつもない負担を掛けてしまった・・・その思いは常にありました。
一説によれば、メガバクテリアは保菌しているだけでは、問題視する必要はない。
あるいは、文鳥には害はない。
そんな情報がネット上では飛び交っています。
もちろん、そういう情報があることは承知の上で徹底治療の道を選択したわけなのですが、それでも迷うのです。
過ぎたことであっても、迷うのです。
最終的には、診察してくださった先生の判断を信じて、それを決めたのは自分。
「どこも間違ってないじゃない」 という思いと 「セカンドオピニオンを求めるべきではなかったか」 という思いも交錯します。
あのときは、治療の最終段階になって、本当にメガバクテリアだったのかどうかさえあやふやになって幕切れとなりました。
もう一度、先生にお聞きしてみました。
「ヤッピーはメガバクテリアだったと思いますか?」
「メガバクテリアだったと思います。」
今回は明確に答えをいただきました。
「メガバクテリアは徹底的にたたくべきだ」
という先生の考えに今も変わりがないことも確認しました。
「胃炎で亡くなった鳥の胃を調べるとメガバクテリアが見つかることが多い。
(まれに、見つからないこともある)
メガバクテリアの関与が濃厚に疑われる以上、それが見つかったときには排除しておいた方が良い。
今、何ともなくても、いつ発症するか分からないから。」
というような説明でした。
「文鳥に対してはどうなのでしょう?」
という問いに対しては、
「症例が少なすぎて分かりません」
(メガバクテリアに感染する文鳥自体が稀であるなら、もっともな事です)
治療の前に先生と話し合ったことの繰り返しのようにも思えましたが、無駄なことではない・・・
終わった後に、一つ一つを検証し直す作業も必要だと思うから。
あのときも、今回も、先生のおっしゃることに異議はありませんでした。
常に最悪を想定して対処する、その姿勢に対しては全面的に賛同できます。
なら、何で悩むのかな~。
「ベストはありません。ベターを選ぶしかないんです。
そして、どれを選んだとしても後悔はつきものです。
ちゅんちきさんの性格上、治療しない方を選んだら、もっと後悔していたと思います。」
ハイ、図星です。
治療しないという事は、時限爆弾を抱えて生きるようなもの。
いくら健康管理をしっかりしたって、悪くなるときには具合は悪くなる。
あのときだって、食餌内容にはまったくと言っていいくらい問題はなかった。
飼育環境にも問題はなかった。
ただ、ウサギに手を取られていただけ・・・。
それなのにヤッピーは体調を崩し、メガバクテリアが発覚した。
メガバクテリアがいる以上、いつかはスイッチが入る。
ヤッピーが逃げ切れる保証はどこにもない。
自分は、あのときそう思いました。
思い出して、納得しました。
そして、もう一つの問題。
「飼い主の目から見ると、投薬量がものすごく多くて、もう限界だったんじゃないかという気がしていました。
ちょうど、そのときに治ってしまったから良かったのですが、あのまま続けていたら、ヤッピーはどうなってしまったんでしょう?」
「飲み薬は吸収されないので問題はありません。
ただ、注射の方は・・・あれが限界だったかもしれません。」
過剰投与によって副作用が出た動物の末路を知っているのは、毒性試験の現場にいる自分の方かもしれません。
でも、自分は止めなかった。
先生がいいと思うところまでやっていただこう、そう思いました。
結局は、自分が許せないんですね。
治療をしていただいた横浜の病院では、メガバクテリアに対して最もシビアなのが院長様なのだそうです。
(そういえば、最初に治療すべきだとおっしゃったのは、院長様でした)
メガバクテリアが治った最長記録は、院長様の2年間だそうで、その間、飼い主さんはひたすら通院して注射をしていただいていたとか。
大抵はそこまでもたずに、治療を打ち切り、メガバクテリアと共存の道を選ぶのだそうです。
どこまで治療を続けるかの判断は、先生によって様々だということですが、飼い主さんの忍耐にもよるのでしょうね。
そういう病院にかかったというのも、また縁なのでしょうか。
「ヤッピーちゃんの治療は、あれで正しかったです。
良い選択をして、良い結果になったと思います。」
先生は、はっきりとそうおっしゃってくださいました。
「ヤッピーちゃんは、もう完全にメガバクテリアはなくなっていると思います。」
そうも言ってくださいました。
そうね・・・ヤッピーはもう治ったんですものね。
ここで、一旦、線を引きましょう。
いつの日にか、必ずやこの病気の真相が明らかになるときが来るでしょう。
そのときには、もう一度、自分のした事を振り返ってみましょう。
人間も動物も、みなそれぞれに何かしら役割を背負って生まれてくる、私はそう信じています。
実験動物は薬を待つ誰かの命をつなぐために、コンパニオンアニマルと呼ばれる動物たちは、人の心を支えるために・・・みんな大なり小なり使命を背負って生きている。
ヤッピーは・・・ “メガバクテリアのヤッピーちゃん” になるために生まれてきた。
チェリーは・・・ “メガバクテリアのヤッピーちゃん” のために逆転満塁ホームランを放つために生まれてきた。
そのために、トリコモナスを発症し、メタボにもなった。
ダッチウサギたちは・・・ヤッピーのメガバクテリアの引き金を引くためにやって来た。
そんな不思議な運命のつながりのようなものを感じています。


